暴れ川から北の大動脈へ!石狩川の治水史と三日月湖の真実【2026】

暴れ川から北の大動脈へ!石狩川の治水史と三日月湖の真実【2026】

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空知平野の地図や航空写真を開くと、本流を取り囲むように弧を描く池や沼が点在している様子が確認できます。これらはすべて、かつて石狩川の本流だった「三日月湖(旧河道)」です。明治時代初期の石狩川は、平野部を極端に蛇行しながら流れており、その全長は約364kmにも及んでいました。

蛇行する川は勾配が極めて緩く、一度大雨が降ると水が海へ抜けずに滞留し、泥炭地を飲み込んで壊滅的な水害を引き起こしました。特に明治31年(1898年)の未曾有の大洪水は、開拓民の農地や集落を壊滅させ、治水体制の抜本的な見直しを迫る契機となります。

そこで推し進められたのが、蛇行した流路を切り落として最短距離で結ぶ「捷水路(しょうすいろ)工事」でした。内務省の技師・岡﨑文吉が唱えた自然の力を利用する低水工事思想と、その後の大規模な開削事業によって、川は人工的に直線化されていきました。切り離されて取り残された旧流路は水たまりとなり、現在の美しい三日月湖群へと姿を変えたのです。川の長さを約100km近く短縮させたこの大工事こそが、石狩平野を日本屈指の穀倉地帯へと変貌させた決定的な要因でした。

石川 優花
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石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。