デヴィ夫人若い頃の真実|東洋の真珠と呼ばれた美貌と激動半生

デヴィ夫人若い頃の真実|東洋の真珠と呼ばれた美貌と激動半生

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華やかなセレブリティとしての姿ばかりが注目されがちですが、その根底には戦中・戦後の過酷なサバイバル体験が存在します。1940年、東京・麻布の大工の家に生まれた七保子少女は、幼少期に東京大空襲を経験。戦後の貧困の中で父親を亡くし、病弱な母と幼い弟を養うため、昼は千代田生命保険に勤務しながら夜は定時制高校(東京都立三田高校)に通う極限の二重生活を送っていました。

生活を支えるために飛び込んだ夜の社交界で、彼女は持ち前の向上心を発揮します。英語を猛勉強し、立ち居振る舞いや教養を徹底的に磨き上げ、わずか数年で社交界の華へと成長していきました。そして1959年にインドネシアへ渡り、1962年にスカルノ大統領と正式結婚。「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)」の名を授かり、インドネシア大統領第3夫人となったのです。

しかし、栄華の頂点も長くは続きませんでした。結婚直後、最愛の弟が日本で自死するという痛ましい悲劇に見舞われます。さらに1965年には軍事クーデター「9月30日事件」が勃発。大統領失脚の混乱の中、身重だった彼女は日本への一時帰国を経て、過酷な政治的亡命生活を余儀なくされることになります。

佐藤 大輔
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佐藤 大輔

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