1864年という年を組織論・危機管理の観点から総括すると、「観念的なイデオロギー(狂信的攘夷論)が圧倒的現実(近代軍事力と国際秩序)に衝突し、粉砕された年」と定義できます。
池田屋事件から禁門の変、下関砲撃に至る過程で、長州藩をはじめとする諸勢力は壊滅的打撃を被りました。しかし、長州の指導層が卓越していたのは、その圧倒的敗北を直視し、「攘夷の不可能」を迅速に悟って「軍制改革と開国倒幕」へと自己変革を遂げた点にあります。
対照的に、幕府は天狗党の処刑や長州への形式的勝利に酔い、旧来の封建的支配体制への固執から脱却できませんでした。危機において「自己否定を伴う変革」を選べたかどうかが、その後の明治維新の勝者と敗者を不可逆的に分けたのです。