観客の心理を巧みに操る「サスペンスの巨匠」といえば、アルフレッド・ヒッチコックを置いて他にいない。彼が確立した演出理論は、映画における心理効果の教科書として今も色あせることがない。観客だけに爆弾の存在を知らせる「情報の非対称性」が生み出す緊迫感は、鑑賞者のストレスレベルを意図的にコントロールする極めて効果的なテクニックだ。
その到達点とも言える名作『サイコ』では、シャワーシーンに代表される細切れの編集と耳を刺す弦楽の響きにより、観客の心身を恐怖の渦に突き落とした。直接的な暴力の描写を極力抑えつつ、観客の想像力そのものを武器に変えて恐怖を増幅させる技法。ヒッチコックが仕掛けた心理的罠は、現代のホラーやスリラー映画の骨格を作り上げた。