なぜこの小さな花に「都忘れ」という哀切を帯びた名が付けられたのか。その発祥を辿ると、鎌倉前期の1221年に起きた承久の乱と、日本史の表舞台から遠ざけられた若き帝の姿に行き当たります。
後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府打倒を試みた順徳天皇は、計画の失敗により佐渡島へと配流の身となりました。京都の雅やかな暮らしから一転、荒波に囲まれた配所で厳しい生活を余儀なくされた順徳天皇。当時の記録や伝承によると、島に咲く深山嫁菜(ミヤマヨメナ)の自生種を目にした際、「この花を見ると、恋しい都のこともひととき忘れられる」と心を慰めたという逸話が残されています。
「いかにして 契りおきけむ 契りあれば 都忘れの 花を見るらむ」――かつて都で最高の栄華を極めた知識人が、絶海の孤島で路傍の小花に託した心情。この痛切なエピソードこそが、ミヤマヨメナの園芸品種に「都忘れ」の名を永遠に刻み込む決定打となりました。