軽井沢高原教会は本当にプロテスタント?信者以外も挙式できる3つの真相

軽井沢高原教会は本当にプロテスタント?信者以外も挙式できる3つの真相

軽井沢高原教会は本当にプロテスタント?信者以外も挙式できる3つの真相とは一体何なのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。

結論から明かすと、軽井沢高原教会の宗派は「特定の教団・教派に属さないプロテスタント精神に根ざした超教派(エキュメニカル)の教会」というのが宗教史および教会の公式見解に基づく正確な定義です。日本基督教団や日本聖公会といった既存の包括宗教法人に加盟しているわけではなく、プロテスタントの根幹である「万人祭司」「聖書主義」の理念を汲みながら、いかなる教派の信徒も、あるいは無宗教の人々をも等しく受け入れる独自の信仰空間を確立しています。

この特異で開かれたあり方を理解する鍵となるのが、大正10年(1921年)に始まった星野遊学堂の歴史です。当時、星野温泉の開祖・星野嘉助氏の呼びかけにより、キリスト教思想家・内村鑑三をはじめ、詩人の北原白秋、作家の島崎藤村ら当時の日本を代表する知識人・文化人が集い、「芸術自由教育講習会」が開催されました。この講習会の精神的拠点として建てられた集会堂に、内村鑑三自らが名付けた揮毫が「星野遊学堂」でした。現在も教会の正面玄関上部には、この木彫の扁額が誇らしげに掲げられています。

内村鑑三といえば、日本の近代思想史に巨大な足跡を残した内村鑑三と無教会主義の創始者です。内村は、制度化された教会組織、形骸化した儀式、教会の権威主義を厳しく批判し、「教会堂や聖職者がいなくとも、聖書を前にキリストと直接向き合い、大自然の中で神の息吹を感じることこそが真の信仰である」と説きました。「遊ぶこともまた学ぶことである」という星野遊学堂の命名思想には、既存の宗派の垣根を取り払い、人間が本来持つ自由な心で真理を探究するという、プロテスタントの精神的純化が色濃く反映されています。

戦後の昭和34年(1959年)、「星野遊学堂」は現在のように「軽井沢高原教会」へと改称されましたが、内村鑑三が蒔いた「形式に囚われない開かれた祈り」の遺伝子は絶えることなく受け継がれています。制度的なプロテスタント教団の枠組みを超越しているからこそ、特定の教義を押し付けることなく、すべての人を温かく包み込む土壌が生まれたのです。

田中 結衣
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田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。