旅行やビジネスで信濃川水系を辿ると、ある奇妙な事実に直面します。全長367kmのうち、実に長野県内を流れる214kmは「千曲川」、新潟県内を流れる153kmのみが「信濃川」と呼ばれている点です。新潟県側よりも長野県側を流れる区間のほうが圧倒的に長いにもかかわらず、河川法上の水系名は「信濃川水系」で統一されています。
なぜ同じ1本の川でありながら、長野県に入ると千曲川へと呼び名が変わるのでしょうか。その理由は、古代から続く日本の地域文化と地名の命名則にあります。
古来、川の名称は「その川がどこから流れてくるか(あるいはどこへ向かうか)」という流域住民の視点によって付けられてきました。新潟(越後国)の人々から見れば、上流から滾々と流れてくる水は「信濃(長野)の国からやってくる川」であるため信濃川と呼びました。
一方、当の信濃国(長野県)の人々は、自分たちの土地を流れる川に対して自国の名前を冠する必然性がありません。長野の険しい山間部を幾重にも曲がりくねって流れる壮大な地形そのものを指し、「千々に曲がる川」という意味を込めて千曲川と呼んできた経緯があります。
明治時代に近代的な治水計画を策定し、1896年(明治29年)の河川法制定によって水系ごとの統一名称が必要となった際、「河口(日本海)が位置する新潟県側の名称」を採用して法的には「信濃川水系」と定められました。しかし、地域に根づいた愛着を尊重し、長野県内では現在も公的に「千曲川」の呼称がそのまま標識や行政文書で使用されています。