生島ヒロシのキャリアを振り返ると、その根底には常に「挑戦と開拓」のスピリットがあります。宮城県気仙沼市で生まれ育ち、法政大学を中退して単身渡米。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科を卒業するという、当時としては極めて異例のバックボーンを持っています。
帰国後の1976年にTBSアナウンサーとして入社。『街かどテレビ11:00』などで爆発的な人気を獲得し、局の看板アナウンサーへと登り詰めました。そして1989年に独立を果たし、個人事務所として立ち上げたのが芸能プロダクション「生島企画室」です。
独立系事務所の運営は容易ではありませんが、生島企画室はアナウンサーやキャスターだけでなく、俳優、文化人、アスリート、専門家まで幅広くマネジメントする総合プロダクションへと成長しました。所属タレントへの手厚いサポートと、メディア各局との強固な信頼関係は、生島自身の誠実な人柄と営業努力の賜物です。自身もファイナンシャルプランナーや防災士、ヘルスケア関連の資格を次々と取得し、「学び続ける経営者」としての背中を見せ続けています。