事件発生直後から、Yahoo!知恵袋やSNS上では「交際相手を罠にはめて集団で暴行死させた残虐な事件」「二人(八木原と川村)とも懲役20年以上の重刑が妥当」「被害者側の別れ方にも落ち度があったのではないか」といった、感情的かつ二極化した言説が飛び交いました。
しかし、実際の司法審査の場における空気感は、ネット上の単純な勧善懲悪の図式とは全く異なる緻密さで進められています。法廷の傍聴取材を続ける司法記者は次のように現場の様子を語ります。
「法廷に現れた八木原被告は、終始うつむき加減で、声を震わせながら当時の状況を語っていました。ネット上で囁かれるような『冷酷な首謀者』という一面よりも、自らが発端となりながら暴力の暴走を前に完全に思考停止し、その場の空気に呑まれて流されていった若者の未熟さと無責任さが際立っています。被害者の無念を思えば厳罰を望む遺族の処罰感情は痛烈ですが、法廷では感情論を排し、『彼女の作為と不作為が法的にどの罪責を構成するか』が冷徹に仕分けられています」
世論が求める「極刑や懲役30年」といった感情的厳罰論と、刑法の共犯規定が課す「行為責任の原則」との間には、厳然たるギャップが存在します。裁判員制度のもとで、一般市民の常識的感覚がこのギャップをどう埋めるのかが、本裁判の行方を左右する鍵となっています。