この言葉が日本中へ伝播した直接の契機は、2007年1月21日投開票の宮崎県知事選挙でした。当時、宮崎県政は前知事の官製談合事件による逮捕・辞職という激震に見舞われており、県民の行政に対する不信感は極限に達していました。
そうした逆風下、早稲田大学大学院などで政治を学び直し、無所属での出馬を表明したのが東国原英夫(旧芸名:そのまんま東)氏でした。出馬会見および街頭演説において、失意に沈む故郷の現状を憂い、魂を込めて叫んだスローガンこそが「宮崎をどげんかせんといかん」だったのです。
当時の選挙戦において、東国原陣営は徹底した草の根活動を展開しました。報道各社の出口調査によると、無党派層の圧倒的な支持(約6割以上)を獲得し、政党推薦の対立候補らを破って得票数約26万6,000票で初当選を果たしました。
就任直後から「宮崎県のトップセールスマン」を自任し、完熟マンゴーや地鶏、宮崎牛などの特産品を自らテレビカメラの前でアピール。その発信力とともに「どげんかせんといかん」は社会現象となり、同年12月に発表された『2007年 ユーキャン新語・流行語大賞』において、年間大賞を受賞(お笑いコンビ・チュートリアルの「(そんなの関係ねぇの小島よしお氏らと共に選出」)するに至りました。