1991年、冷戦崩壊の激動の最中に緒方氏は第8代国連難民高等弁務官(UNHCR)に就任しました。日本人初、女性初、そして学者出身としても初となるトップ就任でした。彼女が就任した直後、最初の試練となったのが湾岸戦争終結に伴うクルド難民危機です。
イラク軍の弾圧から逃れるため、数十万人のクルド人がトルコ国境の険しい山岳地帯に押し寄せました。しかしトルコ政府は国境を封鎖。従来の難民条約の法規定では、UNHCRの保護対象は「国境を越えた人々(難民)」に限られており、自国内にとどまる「国内避難民(IDP)」への支援は権限外とされていました。
本部ジュネーブの官僚たちが条約の文言を巡って議論を重ねる中、緒方氏は即座に決断を下します。
「救える命が目の前にあるのに、国境を越えていないという理由で見捨てることはできない。支援を開始しなさい」
前例を覆すこの大胆な決断により、UNHCRは米軍などの多国籍軍と連携してイラク国内での救援活動を実施。40万人を超えるクルド人の命が救われました。彼女は法規の奴隷になることを拒み、人道支援の現場における「命の最優先」を行動で示したのです。
さらに旧ユーゴスラビア紛争では、激しい銃撃が飛び交う包囲下のサラエボへ自ら防弾チョッキを着て現地入りし、国連の支援物資が軍事勢力に略奪される事態に直面すると、一時的に支援活動を凍結する声明を出して国際社会に警鐘を鳴らしました。「人道支援は政治的解決の代替にはならない」という冷徹な警告は、国連加盟国の首脳たちを激しく揺さぶり、本格的な和平介入へと動かす契機となりました。