蝗害は人類の文明史そのものに爪痕を残してきました。古来、人類を苦しめてきた「水害」「干ばつ」と並び、農業社会を壊滅させる三大天災の一角として恐れられてきた記録が残っています。
中国史においては「水・旱(ひでり)・蝗」を三大天災と称し、歴代王朝の盛衰を左右しました。『漢書』や『明史』などの正史には、飛蝗が太陽を覆って昼なお暗くなり、草木を喰い尽くして数十万人規模の餓死者を出した悲惨な記録が幾度も登場します。蝗害による飢饉が農民蜂起を呼び、王朝の滅亡を加速させた事例は一度や二度ではありません。
日本国内でも、明治初期に北海道で発生した大蝗害が記録されています。明治13年(1880年)、前年に噴火した樽前山の火山灰によって広大な草原環境が形成されたことと好天が重なり、十勝平野を中心にトノサマバッタが爆発的に群生相化しました。大群は日高山脈を越えて石狩平野まで押し寄せ、開拓使が心血を注いだ農作物を壊滅させ、鉄道の線路に群がって車輪を空転させて汽車を止めるほどの被害をもたらしました。