熱狂的な人気を博していたチェッカーズが、なぜ1992年に解散を選んだのか。その根底には、「制作体制の変化」と「それに伴う金銭・主導権の格差」が存在していました。
デビュー初期のチェッカーズは、作詞・売野雅勇、作曲・芹澤廣明のコンビによる楽曲提供を受け、アイドル的なプロモーションで爆発的なヒットを連発していました。しかし、もともと本格的なドゥーワップやロックンロールを志向していたメンバーたちは、自作楽曲での勝負を強く望むようになります。1986年のシングル「NANA」以降、全楽曲をメンバーオリジナルで制作する体制へと完全移行しました。
この転換がバンド内の力関係を大きく揺るがすことになります。リードボーカルで作詞を一手に担う藤井フミヤと、作曲を手掛ける藤井尚之・鶴久政治・武内享・大土井裕二らに多額の著作権印税が入る一方、楽曲制作に関与しない高杢禎彦らとの間に無視できない経済的・発言力の格差が生まれました。
さらに、事務所からの独立問題やマネジメントの方針を巡り、フミヤ・武内を中心とするグループと、高杢を中心とするグループの間で意見が鋭く対立。音楽的な純度を求めてソロ活動も視野に入れるフミヤと、バンドの枠組みにこだわったメンバーとの間に生じた溝は埋まることなく、1992年秋、解散という苦渋の決断に至りました。