かつて地上波テレビで『火垂るの墓』が放映されるたび、茶の間の視聴者が向ける怒りの矛先は一挙に叔母へと集中していた。節子の着物を米に引き換え、清太の怠惰な態度を厳しくなじり、雑炊の汁ばかりを器に盛る――。子どもの視点から見れば、彼女は紛れもなく身勝手で容赦のない抑圧者そのものだった。
しかし時代が下るにつれ、大人の視点を獲得した視聴者からの評価は一変する。自給自足の努力もせず、蚊帳の中で横になる清太。一方で、軍人の妻として国民服を身にまとい、国防婦人会の活動や家事、極限状態の配給手配に追われる叔母。家計と命を賭けて日常を死守しようとする大人にとって、労働を拒んで居候を決め込む14歳は、どれほど哀れであっても「戦時下の非常識」でしかなかった。