中人出身という不利な身分でありながら、第19代王・粛宗の深い寵愛を受けて王妃の座にまで登り詰めたのが張禧嬪だ。彼女の存在は、当時の宮廷内における西人派と南人派による苛烈な党争と密接に結びついていた。政権交代の波に翻弄されながら、一時は世子の母として栄華の極みを極めた。
しかし、政権の均衡を保とうとする粛宗の冷徹な政治的策略により、彼女の運命は暗転する。仁顕王后を呪詛したという容疑をかけられ、最終的には賜薬による死を命じられた。権力の頂点から奈落の底へと突き落とされた彼女の壮絶な半生は、欲望と愛憎が渦巻く王朝史の最も深い傷痕として刻まれている。