インターネットやSNSが存在しなかった昭和の時代に、なぜローカルな手遊び歌が全国規模で共有されるに至ったのでしょうか。その背景には、子供社会特有の情報伝達メカニズムが存在します。
大きな要因の一つは、「転校生による口承の越境」と「親戚間・合宿等での交流」です。昭和の高度経済成長期からバブル期にかけては、親の転勤に伴う児童の転校が頻繁にありました。ある学校で流行していた手遊び歌を転校生が新しい学校の児童へ教え、それがさらに近隣の公園や塾へと飛び火していくことで、驚異的なスピードで全国へ拡散していったのです。
また、児童心理学の観点からも、この歌には子供を惹きつける明確な構造が備わっていました。少しお下品な言葉やタブー視される身体の部位を、リズミカルな歌に昇華させることで、大人のルールから一時的に解放される快感を得ていたのです。ナンセンスな言葉遊びと「痛い!」「治らない!」という大げさなリアクションがセットになることで、子供たちにとって最高のアミューズメントとして機能していました。