相撲協会の番付制度は厳格であり、怪我であれ処分であれ、本場所を全休すれば機械的に番付が下がっていきます。大関の地位にあった朝乃山は、6場所連続の全休によって前代未聞のスピードで番付を急降下させていきました。
2026年7月場所の全休で大関から関脇へ陥落。その後も出場できないまま小結、前頭、十両、幕下と階級を落とし続け、処分が明けた2026年7月場所(名古屋場所)で彼に与えられた番付は、なんと西三段目22枚目でした。
大関経験者が三段目まで番付を落としたのは、昭和以降では元大関・照ノ富士に次ぐ史上2人目の屈辱的な記録です。大関時代には個室を与えられ、多くの付け人を従えていた男が、大部屋暮らしへと逆戻りし、自分で荷物を持ち、朝早く起きて三段目の土俵に上がる。自らが招いた過ちとはいえ、これ以上ない過酷なペナルティを背負うことになりました。