利休の処刑に至るプロセスには、堺の豪商としての経済的背景が深く関わっている。当時、中国との交易や茶道具の鑑定・売買には天文学的な金額が動いていた。利休の一言でただの土器が黄金と同等の価値を持つに至る状況は、中央集権化を進める豊臣政権にとって看過できない経済的脅威となっていた。
さらに、禅宗の名刹である大徳寺との深いつながりも秀吉の猜疑心を煽った。政権の寺社支配の方針に対し、利休と大徳寺の強い結合は独自の権力基盤として機能していたのだ。天下人が目指した絶対的な統制の下では、文化・宗教・経済を横断する利休のネットワークそのものが排除の対象にならざるを得なかった。