『カスバの女』は、後にムード歌謡と呼ばれるジャンルのなかでも異色の光を放っている。男性コーラスグループや甘い声のムード歌手が主流を占めていた当時のナイトクラブカルチャーにおいて、彼女が表現したのは甘美な逃避行ではなく、どこまでも深く冷たい現実の闇だった。
昭和歌謡の長い歴史のなかで、これほどまでに暗く、しかし同時に妖艶な美しさを湛えた楽曲は他に類を見ない。戦争の傷痕が少しずつ癒え、高度経済成長へと向かう社会の陰で、取り残された人々の寂寥感を受けとめる器となった。それこそが、昭和歌謡史における揺るぎない地位を決定づけた要因と言える。