マーケティングの美談として語られる平賀源内説ですが、歴史学や民俗学の観点からは「後世に作られた俗説ではないか」という指摘も少なくありません。実は、当時の確実な一次史料の中に、源内がうなぎ屋の張り紙を書いたと直接証明する記述は見つかっていないのが実情です。
土用の丑の日のうなぎ発祥を巡っては、源内説以外にもいくつかの有力な説が存在します。
代表的な異説の一つが、狂歌師・戯作者として名高い太田南畝(蜀山人)が関わったとする説です。神田にあった老舗うなぎ屋「春木屋」から相談を受けた南畝が「土用の丑の日にうなぎを食べれば狂歌も出る」といった狂歌を詠んで宣伝したという記録が残されています。
また、春木屋の店主が自ら発案し、土用の丑の日に大量の蒲焼きを注文された際に、井戸水に浸して保存しても味が落ちなかったことから「土用の丑のうなぎは傷みにくい」と宣伝したという説もあります。いずれの説も江戸後期の文化爛漫の時代を背景にしており、複数の文化人や商人たちのアイデアが重なり合って風習へと育っていったと考えられます。