国民的落語家・タレントの明石家さんまは、事故当日に大阪でのラジオ生放送を控えていた。通常であれば番組収録後に日航123便へ搭乗する手筈だったが、この日に限って現場の進行がスムーズに進み、1便繰り上げて全日空便に変更できたという。伊丹空港へ到着直後、飛び込んできた墜落の報せ。もし収録が数分長引いていれば、事故機に乗り込んでいたのは自分だった——この凄絶な恐怖と衝撃が、その後の彼の生き方や「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘に決定的な影響を与えたことは知られている。
一方、フリーアナウンサーとして活躍した逸見政孝一家もまた、直前の判断によって死線をくぐり抜けた。当初は大阪への帰省に123便を予約していたものの、妻の「荷物が多くて移動が大変」「飛行機より新幹線のほうが落ち着く」という強い勧めで、直前に東海道新幹線へと変更したのだった。直前キャンセルがもたらした九死に一生の体験は、当時の民間航空機への過信を揺るがし、人々の移動選択に小さからぬ心理的影を落とした。