豊中のスポーツ史を語る上で、鉄道王・小林一三の存在を外すことはできない。大正初期、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)の沿線開発を進めた小林は、住宅地開発だけでなく文化・娯楽の拠点を沿線に生み出す画期的な戦略を打ち出した。その中核を担ったのが、1913年に開設された「豊中グラウンド(高校野球発祥の地)」である。
1915年夏、この地で第1回全国中等学校優勝野球大会が開催された。現在の全国高等学校野球選手権大会、すなわち「甲子園」の揺籃(ようらん)の地だ。現在、公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)へと受け継がれる高校野球の原風景は、豊中市内の赤土のダイヤモンドで形作られた。
グラウンド自体は短命に終わり、後に住宅街へと姿を変えたものの、記念碑が建つその界隈には今も独特の誇りが息づく。小林一三が描いた「郊外住宅地とスポーツ文化の共生」という思想は、形を変えながら現代の豊中のスポーツ施設群へと脈々と受け継がれている。