戦後の言論空間を牽引した新潮社や文藝春秋が保管する当時の誌面や社史アーカイブを紐解くと、ジャーナリズムがいかに二人の対立軸を刺激的に報じていたかが浮かび上がる。編集者たちは、三島の鋭利な知性と太宰の情念にあふれた生々しさを対比させ、読者の関心を引きつけた。
メディアの熱狂の中で、三島自身も「太宰批判」のポーズを強化せざるを得なかった側面がある。しかし、新潮社の旧蔵資料に残された元編集者の手記には、太宰の死後、三島が周囲の目を盗むようにして太宰の作品集を紐解いていた様子が記されている。文壇が作り上げた「対立」という記号の裏で、二人の天才は言葉を通して密かな対話を続けていたのだ。