戊辰戦争のタブーと歴史の闇|埋葬禁止の真相と現代に続く確執

戊辰戦争のタブーと歴史の闇|埋葬禁止の真相と現代に続く確執

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学校教育の歴史教科書では、戊辰戦争は「旧弊な幕府勢力を打ち倒し、近代国家への道を拓いた内戦」としてシンプルに記述されます。しかし、現場で起きた略奪、民間人への加害、敗者に対する過酷な報復措置といった「戦場の暗部」は、勝者側の編纂した正史の陰に覆い隠されてきました。

とりわけ、会津藩主・松平容保に対する処遇は、会津側の怨嗟の根源となりました。京都守護職として孝明天皇から絶大な信任を受け、御宸翰(ごしんかん:天皇直筆の書簡)と御製を賜っていた容保は、朝廷への忠誠を尽くしていたにもかかわらず、政変によって一転して「朝敵・逆賊」の汚名を着せられました。容保は生涯この御宸翰を竹筒に入れて肌身離さず身につけていたと伝えられ、勝者の都合で「逆賊」に仕立て上げられた無念さを象徴しています。

また、少年兵部隊である白虎隊の自刃理由についても、一般には「飯盛山から城の炎上を見て落城と誤認したため」と悲劇的に語られますが、唯一の生存者である飯沼貞吉の手記によれば、城の炎上自体は認識しつつも「敵に捕らわれて生き恥を晒すより、武士として潔く主君のために命を捧げる」という極限状態での集団的決断であったことが判明しています。

検証項目一般に流布する通説・伝説一次史料・記録が示す実態編集部の歴史的評価遺体埋葬禁止令新政府軍が一切の埋葬を禁じ、鳥獣に食わせる野ざらしにした開城から約10日後に町肝煎主導で仮埋葬が開始。ただし正式埋葬は制限完全な禁止令は誇張だが、占領軍の軍政による屈辱と遺族への圧迫は実在松平容保の立場幕府に殉じ、新時代に抵抗した頑迷な守旧派の首魁孝明天皇から御宸翰を賜る忠臣。新政府軍の権力闘争により「朝敵」指定勝者の論理による政治的プロパガンダの犠牲者という側面が極めて強い白虎隊の自刃動機城下の黒煙を見て落城と勘違いし、絶望して集団自決した生存者・飯沼貞吉の証言では、捕縛の屈辱を避け武士の誇りを保つ選択単なる誤認ではなく、武家教育と極限状況が生んだ悲劇的決断戦後処理と配流領地替えによって新天地へ移住し、開拓に従事した旧領23万石没収、下北半島の不毛の地「斗南藩」3万石へ約1万7千人が追放実質石高数千石の酷寒地への強制移住であり、近代史屈指の過酷な敗者処分
中村 さくら
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中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。