時代劇のトップスターとして巨万の富と人気を誇った萬屋錦之介ですが、その私生活は波乱に満ちていました。生涯で3度の結婚を経験し、昭和芸能史に残るドラマを生み出しています。
1人目の妻・有馬稲子との結婚と離婚理由(1961年〜1965年)
錦之介の最初の妻となったのは、宝塚歌劇団出身で松竹のトップ女優として絶大な人気を誇った有馬稲子です。1961年、二大映画スターの結婚は「世紀のロマンス」として日本中から祝福されました。
しかし、その結婚生活はわずか4年でピリオドを迎えます。離婚の決定打となった背景には、以下のような構造的要因がありました。
- 女優業の継続を巡る対立:自立した映画女優としてキャリアを誇っていた有馬に対し、伝統的な梨園の家柄である小川家側は「大スターの妻としての内助の功」を強く求めたこと。
- 親族・取り巻きとの確執:大スター・錦之介の周囲には常に多くの親族や関係者が群がっており、プライベートな空間が保てず有馬が精神的に孤立していったこと。
- 多忙によるすれ違い:年間何本もの主演映画を抱えるトップスター同士ゆえの多忙と生活リズムの乖離。
有馬稲子は後年の自著やインタビューにおいて、「錦之介さんは純粋で魅力的な男性だったが、彼を取り巻く環境と『小川家の嫁』という重圧に耐えきれなかった」と率直に告白しています。
2人目の妻・淡路恵子との再婚(1966年〜1987年)
有馬との離婚の翌年、1966年に錦之介が再婚したのが女優の淡路恵子でした。淡路は前夫(フィリピン人歌手ビンボー・ダナオ)との間に2人の子供(長男・次男)をもうけており、錦之介との再婚にあたって連れ子を伴っての合流となりました。
錦之介と淡路の間には新たに2人の男児(三男・四男)が誕生し、一家は4人兄弟を育てる大家族となります。淡路は女優業を一時休止し、錦之介の個人事務所「中村プロダクション」の経営や家庭の切り盛りを一手に引き受け、献身的にスターを支え続けました。
3人目の妻・甲府にしき(1990年〜錦之介の死去)
淡路恵子との20年以上にわたる婚姻関係は、後述する中村プロダクションの倒産と巨額の負債、そして女性問題が重なり1987年に破綻します。その後、錦之介の晩年を支えたのが、元女優の甲府にしきでした。1990年に正式結婚し、後年に錦之介を襲った重病の看病を最後まで献身的に務め上げました。