崩壊の引き金となった裏金問題ですが、この派閥が日本政治に残した足跡は決して無視できません。清和会の源流は、1979年1月に元首相の福田赳夫が旗揚げした政策集団に遡ります。「清和会」という名称は、中国の古典『晋書』諸葛恢伝にある「政清人和(まつりごと清ければ、人おのずから和す)」という至言に由来しています。「政治が清廉潔白であれば、国民の心は自然と穏やかに和らぐ」という、皮肉にも今回の裏金事件とは対極にある理念を掲げて誕生した組織でした。
結党当時の自民党において、田中角栄率いる木曜クラブ(田中派、後の経世会)が官僚統制と公共事業による利益誘導を武器に「保守本流」として君臨していたのに対し、清和会は財政規律と自主憲法制定、タカ派外交を掲げる「保守傍流」として激しい派閥抗争(いわゆる角福戦争)を繰り広げました。
長年、非主流派の辛酸を舐め続けた清和会が劇的な転換点を迎えたのは、2000年代初頭のことです。森喜朗政権の誕生、そして続く小泉純一郎政権の構造改革旋風によって一気に党内主流派へと躍進。さらに第2次安倍晋三政権の約7年8カ月に及ぶ長期政権を通じて、清和会は「1強」と称される圧倒的な最大派閥へと肥大化しました。
派閥を率いた歴代のリーダーたちは、いずれも時代を画する政治家たちでした。
- 初代(1979年〜):福田赳夫(派閥創設者、第67代内閣総理大臣)
- 第2代(1986年〜):安倍晋太郎(元外相、「安竹宮」の一角としてポスト中曽根を争う)
- 第3代(1991年〜):三塚博(三塚派への移行、党内領袖として影響力を行使)
- 第4代(1998年〜):森喜朗(第85・86代内閣総理大臣、派閥躍進の土台を構築)
- 第5代(2000年〜):小泉純一郎(第87〜89代内閣総理大臣、郵政解散で最大派閥化を決定づける)
- 第6代(2001年〜):森喜朗(小泉総理就任に伴い再登板)
- 第7代(2006年〜):町村信孝(町村派として政策通を中心に派閥を統率)
- 第8代(2014年〜):細田博之(細田派、第2次安倍政権を派閥トップとして支え続ける)
- 第9代(2026年〜2026年):安倍晋三(第90・96〜98代内閣総理大臣、安倍派を発足させるも急逝)
安倍氏亡き後は後継会長を一本化できず、塩谷立氏が座長を務める「集団指導体制」へと移行したものの、かつての領袖たちが持っていた強烈な統率力は失われ、組織内部の遠心力と不信感が拡大していくことになりました。