2008年の結婚後、本田のキャリアはオランダ、ロシア、イタリア、メキシコ、オーストラリア、そしてカンボジアへと目まぐるしく展開していった。特にモスクワ(CSKAモスクワ時代)の過酷な気候と治安、そしてミラノ(ACミラン時代)の容赦ないメディアのプレッシャーは、家族にとっても試練の連続だったはずだ。
美沙子さんは元保育士としての経験を活かし、言葉も文化も異なる土地で家庭という「絶対的な安全基地」を作り上げた。専属シェフを雇わずに自ら栄養学を学び、アスリートに必要な食事管理を徹底したという逸話もある。彼女の適応力の高さこそが、本田がピッチ上で牙を剥き続けられた最大の要因だろう。