時の流れは残酷であり、同時に慈悲深い。2016年当時、スマホの画面を埋め尽くした怒号や批判のコメントは、今やネットの奥底に沈殿している。10年という歳月は、人々の記憶を薄れさせるのに十分な時間だった。特に現在の若年層にとって、あの騒動は「教科書に載っている歴史」のようなものであり、リアルタイムの熱量を持って語られることはない。
しかし、世論が彼らを「許した」のかと言えば、それは少し違う。正確には、大衆が「他人の私生活に飽きた」のだ。日々新しい炎上やスキャンダルが生産され、消費されるサイクルの中で、10年前の出来事にいつまでも怒り続けられるほど暇な人間はいない。この「無関心という名の寛容さ」こそが、二人の活動領域を広げる最大の呼び水となったことは皮肉な事実である。