絆会という特異な組織を語るうえで、トップである織田絆誠代表(本名:金禎紀)の存在を切り離すことはできません。1966年生まれの織田代表は、若くして頭角を現し、三代目山健組傘下の組織で数々の武闘派エピソードを残してきました。服役経験を経て磨かれた鋭い眼光と、澱みなく持論を展開する圧倒的な弁舌は、裏社会関係者からも「希代のカリスマ」「演説のプロ」と畏怖されていました。
かつて彼がメディアのインタビューや会見で語った言葉の数々は、当時の任侠界では極めて異質でした。「ヤクザの近代化」「若者が誇りを持てる組織づくり」といった耳ざわりの良いフレーズを並べ、自らを旧態依然とした極道社会へのアンチテーゼとして演出することに成功していました。しかし、その実態は、強大な六代目山口組と対峙しながら、古巣の神戸山口組からも命を狙われるという極めて過酷な二正面作戦の連続でした。
長田区の銃撃事件を生き延びた後、織田代表の動向は急速に不透明さを増していきました。現在、織田代表が公の場に姿を現すことは皆無に等しく、その居所は厳重に秘匿されています。捜査当局の追跡を逃れるためだけでなく、敵対勢力からの刺客を警戒し、数日おきに潜伏先を転々とする極限の警戒態勢を強いられていると伝えられます。
かつて自著や独占取材で自信に満ちた笑みを浮かべていたカリスマは、護衛すら十分に確保できないほどの戦力低下に直面しています。自らが理想として掲げた「脱反社」の看板は、結果として既存のヤクザビジネスを自制させる足かせとなり、組織を支える資金源と若い担い手を奪い去る皮肉な結末を招いたのです。