三島由紀夫による太宰批判は、単なる感情的な若気の至りではありませんでした。三島は太宰の代表作である『斜陽』や『人間失格』に対し、終生厳しい批評眼を向け続けました。特に『斜陽』に描かれた没落貴族の言葉遣いや生活描写に対しては、「本物の華族の生態を知らない者の空想」「新宿の酒場の女給が使うような言葉遣い」と断じ、リアリズムの欠如を厳しく指弾しています。
さらに太宰の遺作となった『人間失格』に漂う、自己憐憫と弱者アピールに対しても三島は嫌悪を隠しませんでした。三島は後に著書『作家論』や『私の遍歴時代』の中で、太宰文学の根底にある「甘え」の構造を解剖しています。「太宰が演じている絶望や孤独は、冷水摩擦やラジオ体操、規則正しい生活によって治る程度の神経症にすぎない」という趣旨の辛辣な言葉を残しているほどです。
三島にとって文学とは、過酷な自己鍛錬と緻密な論理構築によって築き上げられる壮麗な伽藍(がらん)であるべきでした。それゆえに、自らの恥や弱態をあえて晒し、読者の同情と共犯関係を誘い出す太宰の「私小説的ナルシシズム」は、文学の尊厳を冒涜するものに映ったのです。