阿部慎之助監督の生い立ちにおいて、最も劇的なエピソードが「右投げ左打ちへの転向」です。もともと右利きだった阿部監督ですが、野球を始めた幼少期に父・東司さんの指導によって左打席に立つことになりました。
東司さんが左打ちを勧めた理由は二つあります。一つは、高校時代の盟友である掛布雅之氏の華麗な左打者としての打撃フォームや勝負強さを間近で見ており、「これからの時代、左の強打者は大きな武器になる」と確信していたこと。もう一つは、右投げ左打ちの捕手という球界でも極めて希少価値の高い選手に育て上げたいという明確な育成ビジョンがあったためです。
自宅の庭や近隣の公園で行われた父子の練習は、まさに昭和のスポ根を地で行く壮絶な特訓でした。重い竹バットや重構造のマスコットバットを振らせ、父親が投げるボールを毎日何百球も打ち込む日々。芯で捉えられなければ容赦ない叱咤が飛ぶ厳しい環境でしたが、阿部監督は弱音を吐くことなく食らいつきました。父親の徹底したインサイドアウトの打撃指導と体の使い方の叩き込みが、後にプロ野球で通算406本塁打を記録する美しいスイングの礎となったのです。