項伯が身を挺して劉邦を守っていたものの、切迫した危険な状態は続いていました。この異常事態を宴席の隅で察知した張良は、静かに陣営の軍門へと抜け出し、劉邦の護衛隊長である猛将・樊噲(はんかい)のもとへ駆け寄ります。
樊噲の乱入シーン書き下しと現代語訳
張良から「今、項荘が剣を抜いて舞っており、その狙いは常に沛公にある」と告げられた樊噲は、「此れ迫れり。請ふ入りて之と倶に死せん(事態は一刻を争う。どうか中に入って沛公とお供をして死なせてほしい)」と叫び、盾と剣を手に持って警護の兵をなぎ倒し、宴席の帳(とばり)を引き裂いて乱入しました。
このときの樊噲の凄まじい形相を、『史記』は「髪上指し、目眦尽く裂く(髪の毛は逆立ち、まなじりは裂けんばかりに見開かれていた)」という圧巻の描写で記録しています。驚いた項羽が「壮士よ!」と叫び、生肉と大杯の酒を与えると、樊噲は立ったまま酒を飲み干し、盾の上に生の豚の肩肉を置いて剣で切り刻んで食らいつくしました。
さらに樊噲は、秦の悪政を倒すために尽力した劉邦の功績を堂々と主張し、功臣を疑って殺そうとする項羽の度量の狭さを痛烈に批判します。項羽はこの気迫に圧倒され、返す言葉を失って「坐せ(座れ)」と促すしかありませんでした。
「トイレ口実の脱出」と砕かれた玉斗
樊噲の命懸けの乱入によって暗殺の機脈が完全に断たれると、劉邦は「厠(かわや:トイレ)に行きたい」と口実を設けて宴席を立ちます。そのまま樊噲たちとともに裏道を通って全速力で自陣へと脱出(尿遁)しました。
残された張良は、項羽に白璧一双(一対の白い玉の飾り)、范増に玉斗一双(一対の玉の酒器)を献上して劉邦の無断退出を詫びました。項羽が献上品を受け取って満足げに傍らに置いたのに対し、激怒した范増は玉斗を地面に投げ捨て、剣を引き抜いて粉々に叩き割り、次のように吐き捨てました。
「ああ、豎子(じゅし:青二才・愚か者め)は与に謀るに足らず。項王の天下を奪ふ者は、必ず沛公ならん。吾が属今に其の虜と為らん。」
(情けないことだ、こんな小僧どもとは重大な相談などできたものではない。項王の天下を奪い取るのは間違いなくあの沛公だ。我々一族は今に奴の捕虜となるに違いない!)
范増の予言通り、この鴻門之会での見逃しが致命傷となり、5年後の紀元前202年、垓下の戦いで項羽は劉邦に敗れ去り、非業の自害を遂げることになります。