美濃の三人衆の一人として数えられた稲葉一鉄(良通)に始まるこの名門は、戦国の世において卓越した政治的感覚と武勇を示した。智勇兼備の将として名高い一鉄の姿勢は、後の当主たちにも脈々と受け継がれていく。
関ヶ原の戦いを経て幕藩体制が確立すると、稲葉家は豊後国臼杵藩5万石の主として定着。さらに春日局(稲葉正成の妻)との縁戚関係をはじめ、江戸幕府の中枢とも深い繋がりを持った。苛烈な権力闘争が渦巻く時代にあって、理知的かつ堅実な治世を貫いた決断力こそが、改易の憂き目に遭う大名が多い中で家名を今日まで残した決定打と言える。