1999年7月21日深夜、文壇のみならず日本社会全体を揺るがす緊急ニュースが列島を駆け巡りました。保守論壇の重鎮として圧倒的な発言力を誇っていた江藤淳(本名・江頭淳夫)が、神奈川県鎌倉市西鎌倉の自宅浴室で倒れているのが発見され、その場で死亡が確認されたのです。享年66という若さでした。
警察の捜査により、死因は自らカミソリで手首を切ったことによる失血死と判明しました。浴室には乱れた様子はなく、整然とした状況下で自決が遂行されていたことから、衝動的な行動ではなく極めて理性的かつ強固な意志に基づいた決断であったことが窺えます。前日まで普段通り知人と連絡を取り合っていただけに、知己の編集者や読者は深い驚きと悲嘆に包まれました。
戦後の論壇で常に先頭に立ち、過激な論争をも辞さなかった論客の突然の死は、一つの時代の終わりを告げる象徴的な出来事として受け止められました。