築地という地名は、文字通り「地を築いた」ことに由来する。明暦の大火(1657年)によって灰燼に帰した江戸の町を復興すべく、幕府は湾岸部の埋め立てに着手した。その構想の源流には、江戸の都市基盤を設計した徳川家康の遠大な国土計画があったと伝わる。しかし、工事は困難を極めた。堤防を築いては激浪に崩され、海は荒れ狂い、工夫たちは度重なる自然の猛威に絶望していた。
事態が一変したのは、海中を漂う光り輝く御神体が引き揚げられた夜のことだ。人々が恐る恐るその尊像を祀ると、それまで逆巻いていた大波が嘘のようにピタリと収まり、埋め立て工事は瞬く間に完了したという。この奇跡の神こそが、波除稲荷神社に祀られる倉稲魂命である。「波を除け、災いを退ける」という社の名は、自然の猛威と闘った先人たちの畏怖と感謝がそのまま刻み込まれた結晶に他ならない。