自身がカトリック信者であった遠藤周作は、西洋の「絶対的な神と罪」の概念を、日本の「湿った泥沼」のような土壌にどう根付かせるかに苦闘した。
『海と毒薬』において捕虜を実験台にする行為は、西洋的な倫理観から見れば神への明確な反逆であり、致命的な罪である。だが作中の登場人物たちを真に怯えさせるのは、「神の裁き」ではなく「裁判で罰せられること」や「仲間から浮いてしまうこと」でしかない。裁判の席で彼らが流す涙は、罪の悔恨ではなく、ただ自分の立場が危うくなったことへの保身の涙なのだ。
この冷徹な分析こそが、本作を時代を超えた文学へと押し上げた。個人の良心は「絶対的な価値観」に基づいているのか、それとも単に「周囲の環境」に依存しているだけなのか。この問いは、多様な価値観が交錯する現代のグローバル社会においても重い意味を持ち続けている。