秘密裏の要求を受けた中華民国大統領の袁世凱は、老獪な外交戦術で対抗しました。あえて第5号の内容を欧米メディアや各国政府にリークし、国際世論を味方につけて日本に圧力をかけようとしたのです。
情報を察知したアメリカは、中国における「門戸開放・機会均等」を侵害するものとして日本に猛烈な反発を示しました。イギリスなど同盟国からも懸念の声が上がる中、日本政府は国際的な批判に耐えかね、第5号を要求から除外・保留せざるを得なくなります。
1915年5月7日、日本は修正した要求(第1号〜第4号を中心とする条項)を最後通牒として突きつけ、袁世凱は5月9日に受諾を表明しました。袁世凱政権としても軍事衝突を回避するための苦渋の決断でしたが、中国国民はこの日を「国恥記念日(国家の恥辱の日)」と呼び、屈辱の歴史として記憶に刻むことになります。