大田昌秀はなぜ国と闘ったのか?代理署名拒否の真相と平和の礎の遺志

大田昌秀はなぜ国と闘ったのか?代理署名拒否の真相と平和の礎の遺志

大田昌秀はなぜ国と闘ったのか?代理署名拒否の真相と平和の礎の遺志の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

Q1:大田昌秀氏はなぜ沖縄県知事として米軍用地の代理署名を拒否したのですか?
A1:1995年の米兵少女暴行事件を機に、戦後50年間も過重な基地負担を強いられてきた沖縄県民の怒りと尊厳を守るためです。県民の生命と財産を預かる知事として、これ以上基地使用の継続に加担することはできないという信念に基づき、職務執行命令訴訟という国との法廷闘争を選びました。

Q2:「平和の礎」が大田県政の最大の功績と言われる理由は何ですか?
A2:国籍や軍人・民間人の区別を完全に排除し、沖縄戦で失われたすべての命を等しく刻名するという、世界でも極めて類を見ない人道主義・反戦思想に基づいているためです。「命どぅ宝」の精神を後世に伝える不戦のモニュメントとして、国際的にも高く評価されています。

Q3:大田昌秀氏の死因と最期の様子はどのようなものでしたか?
A3:2017年6月12日、那覇市内の病院にて肺炎と呼吸不全のため92歳で逝去しました。亡くなった当日は自身の92歳の誕生日であり、最晩年まで大田昌秀平和総合研究所で執筆や平和発信を精力的に続けていました。

池田 達也
Author

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。