名優・長門裕之の波乱万丈|南田洋子の介護と死因、暴露本の真相

名優・長門裕之の波乱万丈|南田洋子の介護と死因、暴露本の真相

名優・長門裕之の波乱万丈|南田洋子の介護と死因、暴露本の真相の全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。

長門裕之の原点を語る上で避けて通れないのが、日本映画の黎明期を築き上げたマキノ一族の血統です。祖父は「日本映画の父」と称される牧野省三、父は歌舞伎出身の映画俳優・沢村国太郎、母は女優のマキノ智子という芸能界屈指のサラブレッドとして誕生しました。彼の本名は加藤晃夫(かとう あきお)。叔父に映画監督のマキノ雅弘や名優の加東大介、叔母には女優でエッセイストとしても名高い沢村貞子が名を連ねる名門中の名門です。

子役時代から劇団に入り、1940年に『風の又三郎』で映画デビューを果たした長門裕之の若い頃は、まさに日本映画の復興と軌を一にしていました。戦後、本格的に日活へ入社すると、石原裕次郎らとともに「太陽族映画」の立役者として頭角を現します。1956年の映画『太陽の季節』では、後に生涯の伴侶となる南田洋子と共演し、日本アカデミー賞の前身とも言えるブルーリボン賞をはじめ数々の賞レースで注目を集めました。

役者としての地位を決定づけた代表作といえば、今村昌平監督とタッグを組んだ1961年の『豚と軍艦』、そして1963年の『にっぽん昆虫記』です。米軍基地の街・横須賀で生きるチンピラの狡猾さと哀愁を泥臭く演じ切り、日本映画界における演技派トップスターの座を揺るぎないものにしました。名門の重圧を跳ね返し、徹底して人間の弱さやエゴイズムを体現し続けたその経歴は、昭和エンターテインメント史そのものであったと言っても過言ではありません。

山下 哲也
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山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。