稀代の名曲の誕生は、決して平坦な道のりではありませんでした。松本隆が提出した原稿用紙を手にした筒美京平は、当初「こんな長い手紙のような詞に、どうやって曲を付ければいいんだ」と頭を抱えたという逸話が、音楽関係者の証言や当時の制作回顧録で明かされています。
通常の歌謡曲のフォーマットである「Aメロ・Bメロ・サビ」という様式を大きく逸脱し、4番すべてが対話形式で展開する長文詩。松本は「男性と女性が交互に歌い合うドラマを、一人の歌手に表現させたい」という野心的な構想を抱いていました。筒美はこの前代未聞の挑戦を受け止め、通常なら陰鬱なバラードになりがちな別れの物語に、あえて軽快な16ビートの跳躍感あふれるメロディをあてはめました。
この「哀しい歌詞を明るい曲調で歌う」というアプローチこそが、リスナーの胸を締め付ける最大のギミックでした。涙声で歌うのではなく、どこか淡々と、はずむようなリズムに乗せて別れが歌われることで、失恋の哀愁がコントラストとして際立ちます。松本隆の研ぎ澄まされた言語感覚と、筒美京平の先鋭的なポップセンスが高度に共鳴した結果、日本のポピュラー音楽界に歴史的な金字塔が打ち立てられた瞬間でした。