吉行淳之介の死後、彼の精神的・物質的遺産は二つの異なる道へと分かれていった。宮城まり子は吉行との愛を結実させるかのように、日本初の肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」の運営に生涯を捧げた。そこには吉行から注がれた愛情と、彼の存在を社会的事業へと昇華させようとする執念が見て取れた。
一方、日本文学振興会をはじめとする文学界の公権的領域においては、純文学の発展に寄与した文豪としての功績が讃えられ続けた。妻・文枝が守り抜いた「吉行」の姓と、愛人・宮城まり子が築き上げた社会貢献の事業。二人の女性はそれぞれの方法で作家の爪痕を世に残し、その遺産を現代へと繋いだのだ。