テクノカット流行の理由を探る上で、1979年の原宿カルチャーを語らないわけにはいきません。この革新的なスタイルを生み出したのは、青山・原宿の伝説的ヘアサロン「HAIR DIMENSION(ヘアディメンション)」を主宰していたヘアスタイリストの本多三記夫氏です。当時、1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』で世界進出を果たそうとしていたYMOのビジュアル戦略において、坂本龍一氏のヘアデザインは極めて重要なピースでした。
関係者の回想録や当時の音楽専門誌の記録によると、坂本龍一氏本人の「もみあげをきれいに無くしてしまいたい」「これまでにない無機質で人工的な輪郭を作りたい」という鋭利なリクエストに対し、本多氏がハサミとレザー(カミソリ)を駆使して構築したのが始まりとされています。耳の上を大胆に露出し、もみあげを斜め一直線にカット、襟足をタイトに刈り上げたそのフォルムは、シンセサイザーの冷徹な電子音と赤い人民服風のコスチュームに見事に呼応していました。
当時の特番インタビューや手記において、坂本氏は「人間臭い情緒を削ぎ落とし、記号化された美しさを求めていた」と述懐しています。それまでの70年代フォーク文化が象徴していた長髪やナチュラルなパーマスタイルへの反動として、テクノカットはまさにカウンターカルチャーの旗印となりました。瞬く間に全国の若者へ波及し、中学校の校則を揺るがすほどの社会現象へ発展したのです。