2015年8月、戦後最大の暴力団分裂劇とされた「山口組分裂問題」の根底にあったのは、まさに弘道会主導の組織運営に対する反発でした。
五代目体制(渡辺芳則組長時代)までは、関西を地盤とする山健組や宅見組などの有力組織が主導権を握っていました。しかし、六代目体制への移行後、組織の要職が名古屋の弘道会出身者で固められ、物品の強制購入や高額な上納金(会費)の徴収など、いわゆる「名古屋方式」と呼ばれる極めて厳格な集権管理が導入されました。この運営方針に不満を募らせた山健組や宅見組などの幹部13人が離脱し、結成されたのが「神戸山口組」です。
その後、双方は特定抗争指定暴力団に指定され、全国各地で事務所の襲撃や発砲事件が多発しました。しかし、警察当局による徹底的な警戒監視と取締り、さらに高山清司若頭の出所後の戦略的な切り崩し工作により、事態は六代目山口組側の圧倒的優位へと傾きました。
神戸山口組の中核であった山健組の離脱・六代目側への合流や、有力幹部の相次ぐ引退・組離脱が発生した結果、2026年現在においては、かつて拮抗していた対立構造は事実上決着しつつあり、神戸側は急速に活動の維持が困難な状態に追い込まれています。