都内の手外科専門クリニックに通院する40代女性患者の手記には、受診に至るまでのリアルな心理的葛藤が克明に綴られています。
「右手の親指の付け根に、米粒より少し大きい骨のような出っ張りを見つけたのは3年前でした。触っても全く痛くなく、仕事でパソコン作業をしても支障がなかったため、『ただの骨の歪みだろう』と自分に言い聞かせて放置してしまったのです。ところが昨年末、重い買い物袋を握った瞬間に電気が走るような激痛が走り、ペンを握ることすらできなくなりました。クリニックでエコーを当てられた瞬間、医師から告げられた病名は『神経を巻き込んだ腱鞘巨細胞腫』でした」
この手記が示す通り、多くの患者を診断遅れに追い込む元凶は、心理学でいう「正常性バイアス(自分にとって都合の悪い情報を過小評価し、正常の範囲内と思い込む心の働き)」です。「痛くない=安全」という思い込みが、深部組織への腫瘍浸潤を許す最大の要因となっています。
臨床の第一線に立つ手外科指導医は、患者の受診傾向について次のように警鐘を鳴らします。「指の付け根は日常生活で常に摩擦や圧迫を受ける部位です。サイズが小さいうちに指軟部腫瘍手術を行えば、局所麻酔下で15〜30分程度の日帰り処置で安全に摘出できます。しかし、2センチ近くまで放置されて神経や動脈の全周に癒着してしまうと、顕微鏡を用いた神経剥離術が必要となり、術後の感覚麻痺や関節拘縮のリスクが一気に跳ね上がります」