1960年代、アメリカン・ポップスのカバーで爆発的な人気を博した弘田三枝子は、すでに天才少女として時代の寵児であった。しかし、20代を迎えた彼女が求めたのは、単なる「歌の上手いアイドル」からの脱却だった。徹底的なボディメイクと洗練されたスタイリングで見た目を劇的に変貌させ、アーティストとしての完全なる再定義へと打って出たのだ。
その覚悟を一身に受け止めたのが、名門レーベルである日本コロムビアだった。当時の歌謡界において、洋楽のフィーリングを持つシンガーに本格的なドメスティック・バラードを歌わせる試みは、大きな賭けでもあった。だが、出来上がった楽曲は単なる哀愁のメロディにとどまらず、深みのあるポップ・ミュージックのソウルを宿した傑作へと昇華したのである。