なぜ寺尾常史は愛され続けたのか?闘病の真相と愛弟子・阿炎に託した想い

なぜ寺尾常史は愛され続けたのか?闘病の真相と愛弟子・阿炎に託した想い

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2002年9月場所で23年間の土俵生活に別れを告げた寺尾は、年寄・錣山を襲名。2004年には井筒部屋から独立し、東京都江東区に「錣山部屋」を創設しました。

家庭においては、よしえ夫人(美保さん)と結婚し、二人の息子(子供)に恵まれました。妻は部屋のおかみさんとして、若い弟子たちの体調管理や精神的ケアを一手に引き受け、親方の厳しくも温かい指導を陰で支え続けました。錣山親方は家庭人を大切にしつつも、部屋に預かった弟子たちを「実の息子以上の覚悟」で育て上げたことで知られています。

その指導哲学が最も色濃く現れたのが、愛弟子・阿炎(あび)への向き合い方でした。長いリーチと鋭い突っ張りを武器に頭角を現した阿炎でしたが、若気の至りによるSNSの不適切投稿や、コロナ禍における相撲協会のコンプライアンス違反により、出場停止処分という力士生命の危機に直面しました。

世間からの猛烈な批判が集中する中、錣山親方は弟子を切り捨てることは絶対にしませんでした。親方自身も処分を受け入れながら、阿炎に対して「相撲が取れることのありがたみ」と「人としての生き方」を徹底的に説き続けました。稽古場での猛稽古はもちろん、部屋の雑用からやり直させ、精神的な未熟さを鍛え直したのです。

謹慎処分から復帰した阿炎は、土俵上の礼儀や所作が見違えるように磨かれ、2026年11月場所で巴戦を制して見事に幕内最高優勝を飾りました。病床にあった錣山親方は、テレビ画面の前で弟子の復活劇を見届け、大粒の涙を流して喜びました。親方の深い愛情と妥協なき規律が、一人の若者を真の関取へと更生させた瞬間でした。

山田 真由
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山田 真由

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