事件からわずか7週間後、1994年2月に開幕したリレハンメル冬季オリンピックは、世界中が固唾をのんで見守る異例の大会となりました。アメリカ五輪委員会(USOC)は、法的リスクを考慮してトーニャの代表権を剥奪できず、怪我から不屈の闘志で回復したナンシーとともに、両者を同じリンクに立たせる決断を下しました。
女子シングル本番の視聴率はアメリカ国内で歴代最高水準となる48.5%(占有率64%)を記録。これはスーパーボウルにも匹敵する歴史的な注目度でした。
先に滑走したナンシー・ケリガンは、精神的な重圧を跳ね除け、ほぼ完璧な演技を披露。惜しくもウクライナのオクサナ・バイウルに僅差で敗れたものの、堂々たる銀メダルを獲得し、全米に感動の嵐を巻き起こしました。
一方のトーニャ・ハーディングのフリー演技は、前代未聞のアクシデントから始まりました。演技開始直前にスケート靴の靴ひもが切れるトラブルに見舞われ、審判席に泣きつきながら演技のやり直しを懇願。再滑走は認められたものの、精彩を欠いた滑りで総合8位に沈みました。氷上の明暗は、あまりにも残酷なコントラストを描き出して幕を閉じました。