彼女の音楽史を語る上で欠かせないのが、松山大学のサークルで出会った多保孝一の存在だ。二人はブルースやクラシックロックへの憧憬を共有し、ユニットとしてのSuperflyを立ち上げた。当時の音楽業界では珍しかった泥臭くも華やかなポップ・ロックサウンドは、瞬く間にスカウトの耳に留まり、株式会社タイスケへの所属が決まる。
デビュー後まもなく多保はコンポーザー・アレンジャーに専念し、越智志帆のソロプロジェクトへと移行したが、多保が紡ぎ出すダイナミックなメロディラインは、越智の規格外のボーカルリミッターを次々と解除していった。小さな身体に宿る天性のグルーヴが、本格的なプロの現場で研ぎ澄まされていった原点がここにある。