カキツバタの品格を語る上で欠かせないのが、平安時代の歌物語『伊勢物語』の第九段「東下り」に登場する三河国八橋(現在の愛知県知立市八橋町)のエピソードです。稀代の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)が都を離れる旅の途中、水辺に美しく咲き誇るカキツバタを目にして詠んだ一首は、日本文学史に燦然と輝く名作として知られています。
「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
(着慣れた唐衣のように長年親しんできた愛しい妻が都にいるので、はるばる遠くまでやって来たこの旅の侘しさが身にしみて思われる)
この歌は、各句の頭文字を並べると「か・き・つ・ば・た」となる見事な「折句(おりく)」の技法が用いられています。同行した者たち全員が、都に残した妻への切実な愛情に心を打たれ、携えた乾飯(ほしいい)の上に涙を落として飯がふやけてしまったという逸話は有名です。
この八橋の故事こそが、カキツバタに「思慕」「一途な愛」「遠く離れた人への誓い」という深遠な精神性を与えました。決して恐ろしい情念ではなく、何百年の星霜を経ても色褪せない純愛の象徴として位置づけられています。