なぜ普天間基地の中に?佐喜眞美術館『沖縄戦の図』と屋上の秘密を徹底解説

なぜ普天間基地の中に?佐喜眞美術館『沖縄戦の図』と屋上の秘密を徹底解説

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普天間飛行場の滑走路北東側、基地のフェンスがすぐ目の前に迫る宜野湾市上原の地に佐喜眞美術館は位置しています。広大な米軍基地の敷地内に食い込むように建つこの美術館の成り立ちには、館長である佐喜眞道夫氏の並々ならぬ執念と、沖縄戦が残した深い傷跡が色濃く反映されています。

佐喜眞道夫館長は1946年、沖縄戦の疎開先であった熊本県で生まれました。当時の手記や公式の記録によると、幼少期から両親に「美しく豊かな故郷・沖縄」の話を幾度となく聞かされて育ったといいます。しかし、1954年に小学校2年生で初めて祖父の故郷である沖縄の地を踏んだ佐喜眞氏の眼前に広がっていたのは、緑豊かな故郷の風景ではなく、巨大な有刺鉄線とフェンスで遮断された米軍基地の姿でした。先祖代々の土地や一族の亀甲墓までもが普天間飛行場の中に閉じ込められていたのです。

成長した佐喜眞氏は東京で画廊を経営しながら美術の力に深く触れる中で、「基地の中に奪われた先祖の土地を取り戻し、そこに平和を発信する美術館を建てたい」という強い志を抱くに至ります。軍用地の返還要求は容易ではなく、当初は周囲から「基地の土地を取り戻すなど不可能だ」と冷笑されることもありました。しかし、粘り強い交渉と地権者としての正当な権利主張の末、普天間基地の敷地の一角にあたる先祖の土地約1,000坪の返還を実現。1994年11月23日、基地の敷地に風穴を開ける形で佐喜眞美術館が開館しました。

「土地を基地から取り戻し、モノではなく文化と記憶の拠点にする」という佐喜眞館長の明確な意志は、土地強奪と基地問題という沖縄の過酷な歴史に対する、芸術を通じた静かなる抵抗と再生の証となっています。

山田 真由
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山田 真由

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